Blue Mountains Blog

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ニューヨーク散歩 -はじめての海外はじめてのアメリカ

ジェイです。

 

いまでこそ出張族として、日本国内のみならず世界各地を飛び回る生活をしていますが、海外デビューは22歳の時でした。いわゆる大学卒業旅行と称した海外旅行。なんとこの時が飛行機搭乗も人生初!というおまけ付き。つまり、空港という施設に足を踏み入れること自体も初めてという、まさに初めて尽くしの一大イベントでした。

 

目的地はもちろん憧れの国アメリカ。もう選択の余地なし。あの当時は海外といえばアメリカ、USAの一択でした。そして最初の渡航地は永遠の憧れの街であるニューヨーク。ニューヨークは大好きなウディアレンの映画の舞台だったので外せませんでした。それに毎週楽しにしていたNHKの衛星放送でやっていた「ニューヨーカーズ」って番組も欠かさず観て勉強していたしね!(サリー・オグリさんがやっていたあの番組を覚えておられる方いらっしゃいますか?VHSでかなりの本数保存していたんだけど全部処分しちゃってもう観られないのが残念でなりません)

 

旅行の準備:

あの当時はインターネットがまだそれほど普及しておらず、大学研究室にある共用PCでのみ閲覧可能(それもほぼ英語のページのみ)という時代。事前に旅行雑誌(ABロード!)で飛行機代金などを調査し、向かった旅行会社(HIS)にて、担当の方に勧められるがままに全米4都市周遊券を購入しました。詳しい値段は忘れちゃいましたが、確か7万円くらいのチケットで、成田-米国内4都市-成田と回れる格安チケットでした。いまでもこういうチケットあるのかな?学生時代の私にとって、7万円は大金ではありましたが、今になって考えてみると7万円で全米4都市周遊して日本に帰ってこられるんだから大盤振る舞いのチケットですね。航空会社はたしかデルタでした。旅行の準備として地球の歩き方を購入し、いざ憧れの街ニューヨークへ。

 

 

成田空港からアメリカへ:

貧乏旅行でしたから、バックパックを1つだけ背負い、当時暮らしていた静岡から成田空港まで普通電車で数時間かけて揺られていきました。

 

空港について人生初のチェックイン。すると、搭乗予定の飛行機が4時間ディレイとのこと。空港カウンターで、いままでの人生で一度も耳にしたことがない「バウチャー」なる食券をもらい、本当に飛ぶのかと不安になりながら鰻丼を食べ(もしかすると最後の日本食かもという不安)、その後搭乗するもドキドキが止まらず(飛行機ってものすごく重いけど浮かぶの?本当に飛ぶの?)、緊張して寝られず(想像していた以上に騒音がすごかった)、何度も何度もタバコを吸いに行き(この頃はまだ機内禁煙じゃなかった!)、ニューヨークの空港についたのが深夜1時でした・・・・もうドキドキ一杯で寿命が縮みまくりだったし、はじめての外国で深夜1時過ぎに放り出されてどうすればいいの???というなんとも言えない心細さ。早速ホームシックでしたね。

 

でも、同じ飛行機でニューヨークに降り立った親切なニューヨーク在住の日本人の方にヘルプいただいて、マンハッタンへ行くバスに乗ることができ、無事初日のホテルに到着。それ以降は現地で宿泊施設に直接赴き、空き部屋があったらホテルレセプションで値段交渉して宿泊というのを繰り返して過ごしました。大してというかほぼ英語が話せなかったのによく頑張ったもんですね。タイムマシンがあったらあの頃の自分に会いに行って褒めてやりたいくらいです。

 

それにしてもニューヨーク、ほんと楽しかったなあ。デジカメなんてないし、ましてやスマホもない時代。バカチョンカメラ(フィルム式のコンパクトオートフォーカスカメラ)と24枚撮りフィルムを5本持っての2週間の旅。

 

人種のるつぼと言われているニューヨークで、ほんと様々な人たちが街を行き交うのを目の当たりにして驚嘆したことを覚えています。こんなにいろんな人種の人が一つの街で暮らせるってなんか単一民族の日本人からするともうまったく想像を絶する世界。そして、そんなことなる人種をつなぐ「英語」ってすげーなって思いました。これはもう英語話せるようにならないとこの先、生きていけないぞって強く心に刻んだことはいまでもとても新鮮な記憶のままです。

 

そう考えると、あの頃の旅行は20年以上が経過したいまの生活のを形作る大きな変化点だったんだなと。あの時、憧れの国USAに行かずに、愛読書だった深夜特急に憧れてアジアに出かけていたら、人生全く違うものになっていたのかもしれません。面白いもんです。

 

ちょっとばかり旅行を写真とともに振り返ってみます。中には入らなかったけど、かの有名なラジオシティミュージックホール前でパシャ。

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スタテン島に行くフェリーでパシャ。マンハッタン島にはまだ世界貿易センタービルがそびえています。まさかこの5年後に飛行機が突っ込むなんて誰も想像できなかった。
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エンパイヤステートビル。学割があるというので日本の学生証を出したところ「読めねぇ」と言われて突っ返されました。たしか国際学生証的なものがあるんですよね。旅行に際して準備しておかなかったのが悔やまれますが、一生懸命交渉してた自分を褒めてあげたいですな。
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地下鉄駅構内。気分はジョンレノン。
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コロンビア大学にて。この旅行では一般開放されていたコロンビア大学学生寮にも宿泊しました。
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摩天楼の景色は本当に素晴らしい。ため息ものですね。
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ダコタハウス。ジョンレノンが暗殺されたアパートメントの前で手を合わせました。
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ニューヨーク証券取引所
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自由の女神
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あの頃のカメラには「パノラマ写真」モードが付いているものがあって、そのファンクションで撮影した一枚。ブルックリンブリッジと摩天楼のコンビネーションは最高です。
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ニューヨークではいろいろと人の優しさにも触れられました。道に迷っていると助けてくれる人も多かったし、中には「そのエリアは危ない」と一緒についてきてくれる人もいたり(たしか42丁目)。もしかすると危険な目にあっていた可能性も無きにしもあらずなので、運が良かったという面もあるのかも?ですけどね。

 

日本でもあまり公共バスに乗らないので分かりませんが、あの頃のニューヨークのバスは同一方向に行く場合、運転手さんにTransfer Ticketなるものをお願いすると乗り継ぎができたのが驚きでした。

 

 

フロリダ州オーランドへ:

ニューヨークのあとはフロリダへ。せっかくの4都市周遊券だったのですが、このときは2都市のみしか使いませんでした。2週間の旅程で1週間はニューヨーク、1週間はフロリダと時間をそれなりにかけての旅でした。

 

そうそう、この頃はまだ飛行機登場前に"Confirmation"という行為が必要で、なれない英語での電話に四苦八苦したことを覚えています。いまは何でもネットで完結するので本当に便利になりましたね。

 

こちらはNASAでの1枚。ケープカナベラルのケネディ宇宙センター
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はじめての海外、はじめての左ハンドル、はじめてのセルフ給油。まだあの頃の日本にはセルフスタンドは皆無だったのでドキドキしたのを覚えています。
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こちらは現地集合現地解散した大学時代の友人と、長逗留していたモーテルの前で撮影した1枚。アメリカっぽくてかなり気に入ってます。
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はじめての海外、(大して話せるわけじゃなかったけど)はじめての英語生活、そして2週間後に帰国した私は、自宅最寄駅の喫茶店にて英語でコーヒーを注文するという暴挙に出るほどすっかりアメリカに染められてしまいました。完全な黒歴史。でもあの旅行がなかったら海外に対しての興味も全くわかず、外資系企業に勤務するような今はなかったんだろうなって思います。

 

 

2回目の渡米:

そして大学院時代の2年間も勉学ととともにアルバイト(家庭教師とラブホテルフロント業務)に励み一生懸命お金をためました。そして2回目の海外もやっぱりニューヨークへ。同じくHISで4都市周遊券を購入して飛びました。

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世界貿易センタービルから見下ろしたマンハッタンと自由の女神。そうまだこの頃も世界貿易センタービル(ツインタワー)は健在でした。2011年にこのビルに飛行機が突っ込んだ時は、すでに1度目の転職をした後で慣れないエンジニアとしてのお仕事で四苦八苦していた頃。結構遅い時間にオフィスであのニュースを目にし、「もしかしたら戦争が起こるのかも。そうなると徴兵??」なんてビクビクしたことを覚えています。

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タイムズスクエア。デジカメがあったらここだけで50枚は写真撮影していたんじゃないかな。フィルムだったので厳選した数枚のみですが結構ステキな出来じゃないでしょうか。私は好きです。

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NBA聖地巡り:

たしか1990年に日本ではじめてNBA開幕戦がありました。対戦はフェニックスサンズとユタジャズ。この試合を自宅のテレビで観戦した私はすっかりNBAの魅力に取り憑かれてしまいました。サンズにはチャールズバークレーやケビンジョンソンがいた時代。派手さはサンズでしたが、私の目はユタジャズの、カールマローン(The Mailman)とジョンストックトンのゴールデンコンビに釘付け。もうすっかり虜になってしまい、20年以上経った今でもNBAの大ファンです(今年からは楽天TVで観戦中)。

 

もちろんニューヨークではニューヨークニックスの本拠地であるマジソンスクエアガーデンに行きましたが、やはり行きたい場所はユタジャズのホームであるユタ州ソルトレイクシティ。カール・マローンとジョン・ストックトンのコンビネーションをこの目に焼き付けたい!という一心で現地に向かったのですが、なんとAwayの試合でチームは不在。今だったらインターネットで調べてから行けたのに・・・・仕方なく当時のホームコートDelta Centerの前で一枚。いやあ試合見たかったなあ。残念だなあ。今でも悔やまれますよ。

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NBAは見られませんでしたがちょっとだけソルトレイクシティの街をぶらぶら。

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ソルトレイクシティモルモン教の聖地。ふらりと見学に行ったところ、現地におられる日本人信者の方が丁寧に中を案内してくださいました。帰りに聖書を頂いたり、とても親切な対応をしてくださったのに、私は今でも特にどんな宗教も信仰していません。申し訳ないです。

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ソルトレイクシティの次はL.A.、そうロサンゼルス。ここには高校時代の友人が留学していたので数日間逗留させてもらいました。

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はじめての海外、はじめての飛行機。あれから20年強が経ちました。今では海外、飛行機が当たり前の生活を送るようになったけど、バックパック1つで飛び出したこの2回の海外旅行は今でも私の心の中で大きな部分を占めているような気がします。

 

bluemt11.hatenablog.jp

 

最近の海外はお仕事ばかりだけど、そのうち家族でここ最近のお気に入りロンドンに行きたいものです。相当お金貯めないといけないけどね。